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そんじょそこらの「自分捜し」とは違うぞ


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「私」をめぐる冒険―「私」が「私」であることが揺らぐ場所から (新書y)
 よくある「自分捜し」の本ではない。自分捜しをしている当の自分が、いったいどのように成り立ってきたのかを考える、とても本質的な内容だ。
 発達心理学者の著者は、自身の学問的な専門以外の分野でも、いろんな活動をしているらしい。自閉症児とのつきあいとか、自白を強要された冤罪事件の被疑者を救う供述分析という仕事とか、さらに裁判所の証人体験まで。
 本書では、そんな実体験のなかで構想された著者の考える「私」の構図が、理論と実践の両面から実感豊かに描かれている。乳幼児、自閉症児、被疑者と、扱われる対象は三題噺のようにバラバラだけど、これに対人関係という光があたると、あるまとまりをもった「私」の構図が、忽然と浮かびあがってくる。その意外なスリルが、この本の一番の魅力だ。
 著者は、「私」とは、まず身体だという。しかも他者の間に投げ込まれた身体だと。他者から働きかけられ、同時に働きかける「能動←→受動」の束としての「私」。その秘密を知ることには、そこらに転がっている「自分捜し」ではとても味わえない、本物の面白さが隠れているんじゃなかろうか。

引用元:そんじょそこらの「自分捜し」とは違うぞ

小倉優子

私とは?
著者は、人間誰もが一個の受精卵から始まった、という事実に立ち戻る。
この一個の卵が、いつ「私」になり、どのようにして「私」を育むのか?

「私たちは自分が話すとき、話したことばが相手に届くと同時に、自分の耳を通じて自分のことばが
自分に返ってくるのを聞いています。そこでは話しながら聞く立場に身を置いています。」と。
生身の身体から始まり他者との関係を生きる中で現れる、それが「私」だ、と著者はいう。
私が「私」であることの理由に迫り、自分の生が能動なのか受動なのかを問いかける。

人と人の間で共有されている世界、死ぬことにより終わる世界、そんな世界と主体である私の関係を
探るところで本書は終わる。著者の冒険がここから始まるかのように。
一読の価値あり。

引用元:

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