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「先生がえらい」のではなく「えらいと思った人が先生」


写真商品名
先生はえらい (ちくまプリマー新書)
題名で興味をひきつけているが、一般的に題名から予想される内容とはまったく違う。

これは、「教員がいかにえらいか」を述べた本では決してない。
「先生」は「教員」とは別の意味で用いられている。
つまり、自分が「ついていきたい」と思った人が「先生」であり、それは必ずしも「教員」である必要がない。という主張だ。
したがって、「自分はいい先生にめぐりあえなかったから運が悪い」という主張もナンセンスだと斬る。
なぜなら「先生」はもともと自分で探して自分で見つけるべきものだからだ。
教室で待っていたら「私があなたの先生です」といってやってくるものではない。
むしろ教員の存在意義をも脅かす論考であるともいえる。
「先生が何かを教えてくれるはずだ」と受身になるのはやめて、自分から学ばなければ何も学べないという、至極全うな主張をされている。

文体が中学生向けでまどろっこしいが、大人でも考えさせられる「学習論」ではないかと思う。
引用元:「先生がえらい」のではなく「えらいと思った人が先生」

布川敏和

今年の東大現代文の文章に近いと思って読んでみました。
まあ近い感じですね。

東大の方が、中世の「見習い」の関係が成り立たなくなった近代の教育事情の話。
本書が、学びの本質が教えられることにあるのではなくて、自分で学ぶことだということ。

そのために筆者は「先生はえらい」と思え、というけど、「先生がえらいと思うとメリットがある」のと「先生がえらい」のとは別でしょう。
しかも「学校現場の先生」に絞り込むような論理じゃないから、「周りの人を大切にしましょう」ぐらいの簡単なメッセージに落ち着きそうな内容。

まあ子どもが読むならいいかな。
引用元:

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