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「先生がえらい」のではなく「えらいと思った人が先生」
| 写真 | 商品名 |
![]() | 先生はえらい (ちくまプリマー新書) |
これは、「教員がいかにえらいか」を述べた本では決してない。
「先生」は「教員」とは別の意味で用いられている。
つまり、自分が「ついていきたい」と思った人が「先生」であり、それは必ずしも「教員」である必要がない。という主張だ。
したがって、「自分はいい先生にめぐりあえなかったから運が悪い」という主張もナンセンスだと斬る。
なぜなら「先生」はもともと自分で探して自分で見つけるべきものだからだ。
教室で待っていたら「私があなたの先生です」といってやってくるものではない。
むしろ教員の存在意義をも脅かす論考であるともいえる。
「先生が何かを教えてくれるはずだ」と受身になるのはやめて、自分から学ばなければ何も学べないという、至極全うな主張をされている。
文体が中学生向けでまどろっこしいが、大人でも考えさせられる「学習論」ではないかと思う。
引用元:「先生がえらい」のではなく「えらいと思った人が先生」
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